仙台高等裁判所 昭和26年(ネ)106号 判決 1952年5月26日
主文
本件控訴を棄却する。
買収計画の取消を求める控訴人の請求を棄却する。
控訴審における訴訟費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人の訴願に対し昭和二十三年十月一日附でした裁決を取消す。原判決添付目録記載の農地につき、宮城県亘理郡逢隈村農地委員会が昭和二十三年五月二十一日定めた農地買収計画はこれを取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。(立証省略)
理由
訴外逢隈村農地委員会が控訴人を訴外伊藤仁一郎の同居の親族と認め、控訴人所有名義の原判決添付目録記載の農地につき、自作農創設特別措置法第四条第一項を適用し、仁一郎の所有農地とみなし、同人の保有面積を超える小作地なりとして買収計画を定め昭和二十三年五月二十一日これを公告したこと。控訴人が同月三十日右買収計画につき、同委員会に異議を申立てたが同年六月十五日これを却下され、同年八月二十日其の旨通知を受けたこと。控訴人が同月三十日更に宮城県農地委員会に訴願をなし、同委員会が同年十月一日右訴願は成りたたないと裁決し、その裁決書が同月十二日控訴人に送達されたこと。以上の事実は当事者間に争のないところである。
そこで控訴人が自作農創設特別措置法第四条第一項に所謂仁一郎の同居の親族にあたるかどうかの点について判断する。
控訴人が仁一郎の二男であつて父仁一郎と同一家屋に起居し、同人と食事を共にしていることは控訴人の自ら認めるところでありまた控訴人が昭和二十年十二月四日戸籍上父仁一郎の家から分家したこと及び原判決添付目録記載の農地の所有権移転につき昭和二十年十一月二十八日宮城県知事の許可を受け同年十二月二十三日仁一郎から控訴人に対し所有権移転登記のされたことは被控訴人の認めるところである。而して成立に争のない甲第三号証、第五号証の一乃至三、第八号証、第十三号証、第十四号証の一、二、第十五号証の一乃至四、第十六号証の一乃至三、第二十、二十一号証の各一乃至三、原審証人阿部武の証言により成立を認める甲第九、十号証、原審証人大庄司俊二の証言により成立を認める甲第十一号証と原審証人斎藤儀作、伊藤仁一郎、阿部武、大庄司俊二、当審証人原田久三郎、田中市郎の各証言並に原審及び当審における控訴本人尋問の結果を綜合すると、控訴人は農学校を卒業後東北大学附属農学研究所において農業を研究し、その後は自宅において農業を営む仁一郎の手伝をしていたのであるが、昭和十九年九月応召し、昭和二十年九月復員したものであること。控訴人は復員後間もなく仁一郎と相談のうえ将来独立して農業を営む目的で原判決添付目録記載の農地を含め田畑合計約二町六反、山林約四町を仁一郎から貰い受け、分家の手続をしたものであつて、いずれは他に居宅を構えて父仁一郎と別居する予定であること。また控訴人は昭和二十年十一月頃逢隈村上郡字椿部落農事実行組合に対し、自作農として耕作反別の届出をなし、爾来肥料その他の諸物資の配給は仁一郎とは別世帯として配給を受け農作物の供出諸種の税金の納付等も仁一郎とは別に控訴人の名義でしていることなどが認められる。しかし前示のように控訴人が仁一郎と同一家屋に起居し食事を共にしていることと、原審証人羽田兵衛、横山耕三、木村正三、岩間与一、当審証人富塚知、渡辺晴一の各証言を綜合して認め得る、控訴人が本件買収計画樹立当時独身であつて、独立世帯として個有の世帯道具などを有しておらず、雇人、農具、役牛等も仁一郎と共同で使用して農耕を仁一郎と共同で行つてきた事実を綜合すると、控訴人が仁一郎と世帯を分けたのは単に形式上のものにすぎず、事実上父仁一郎と生計を一にした同一世帯に属するものと認めざるを得ないから、控訴人は自作農創設特別措置法第四条第一項に所謂仁一郎の同居の親族にあたるものといわねばならない。甲第十八号証の記載及び原審証人斎藤儀作、阿部武、大庄司俊二、伊藤仁一郎、当審証人原田久三郎、田中市郎の各証言並に原審及び当審における控訴本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、その他に右認定を覆すに足る証拠はない。
然らば逢隈村農地委員会が控訴人を仁一郎の同居の親族と認めて原判決添付目録記載の農地につき買収計画を定めたことは違法でなく、他に右買収計画について違法の点があるとは控訴人も主張しないところであるから、右買収計画を是認した本件訴願棄却の裁決は違法とはいえない。従つてこれが取消を求める控訴人の請求を排斥した原判決は相当であり、また控訴人が当審において附加した右買収計画の取消を求める請求も失当として棄却すべきである。
よつて民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条に則り主文のとおり判決する。(昭和二七年五月二六日仙台高等裁判所第一民事部)